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本年2回目の海外出張(6月1日〜11日)

5 月 26th, 2009
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 今回の主な渡米目的は、BIOMET 3i主催のニューヨーク大学(NYU)インプラント研修に参加することです。ニューヨーク大学の歯学部のインプラント治療は、世界的にも最先端であることは有名で、歯周病・インプラントセクション主任教授のDennis Tarnow先生は世界のインプラント界をリードする素晴らしい先生です。

 

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ターナー先生と(
2008年シアトルにて撮影)

 

 

 

 私個人の目的は、何か新しいことを学びに行くというのではなく、「現在、アメリカの大学では、どのようにインプラントを教育しているのか」をリサーチすることです。

 

 それだけではもったいないので、今回は先にボストンに行き、マーク・ネビンス(Marc Nevins)先生の医院訪問、ハーバード大学歯学部訪問を予定しています。

 マークは、アメリカの新進気鋭の歯周病・インプラント専門医ですが、彼のお父さんは、かの有名なマイロン・ネビンス(Myron Nevins)先生で、彼はアメリカ歯周病学会会長など要職を歴任され、現代の歯周病学をリードしてきた世界的なリーダーです。マークとは、2006年に日本のインプラント学会(OJ)でのシンポジュウムで共演したことから知り合いになり、今回の医院訪問が実現しました。

 ハーバード大学は、その存在を知らない人はいないでしょう。1636年創立のアメリカ最古の大学で、オバマ大統領を含む7人のアメリカ大統領、19人のノーベル賞受賞者を輩出し、2007年には世界大学ランキング単独1位になっています。マークもハーバード大学の臨床教授です。

 

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マーク・ネビンスと(2006年大阪にて撮影) 

 

 

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 ハーバード大学歯学部(2005年撮影

 

 

 その後、ニューヨークに移動し、ニューヨーク大学(NYU)の歯学部を訪問する予定です。私がニューヨークに到着した2日後に日本から20人程の先生が来られ、研修に参加されることになっているようです。私も研修に参加し、11日に帰国する予定です。

 

 今回は、インフルエンザの問題があり、最後まで渡米をするかどうかを悩んでいましたが、現在、日本国内でも蔓延期(特に関西は)に移行し、空港での検疫の撤廃もされたとのことで、現地の人の情報を基に、医院、大学病院以外は出歩かないようにすることで対応することが可能と考えました。タミフルの予防投与は現在検討中です。健康にくれぐれも注意し、患者さんの幸せのため、後進の先生の教育のためにしっかりと学習してまいります。

 

 帰国後は、前回のように出張レポートを作成したいと考えています。

 





 

 

admin 海外出張

恩師、故今井久夫先生をしのんで

5 月 25th, 2009
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2004年撮影(今井先生66歳、私は44歳の年でした)

 

 先日、自室の掃除をしていたら、私が歯科医師になってすぐの頃からお世話になった今井久夫先生の文章が出てきました。先生は、大阪歯科大学歯周病学講座教授、大阪歯科大学付属病院長、大阪歯科大学学長、大阪歯科大学理事長を歴任され、私にとっては仲人、歯周病専門医試験の指導医、学位(博士号)審査教授など、人生の節目節目で大変お世話になった素晴らしい先生です。

 

 先生の人柄は温厚で、配慮に富んだ言動は多くの後輩達から支持されていました。平成19年8月16日、盛夏のさなか、享年69歳という若さで永眠されました。私にとっては歯周病学だけでなく、心の師であり、本当に残念でした。私が22年前、大阪歯科大学の歯周病学講座に入局した時、今井先生は49歳、まさに今の私の年令です。当時の今井先生と今の私を比べてみると、あまりの私の幼稚さに驚愕をおぼえたとともに、「頑張らねば!」という決意を新たにしました。これからも、「一歯一歩」を肝に銘じて歯周病治療に邁進してまいります。今井先生、本当にありがとうございました。

 

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 約10年前に高度な歯周疾患のため、70歳近い高齢患者さんの歯を抜かなくてはならないことになり、抜歯理由について種々説明したところ、1週間程度考えさせてほしいとの要望があり、次回来院時に抜歯を行うことにした。約10日後に再来院され、抜歯を行うことにしましたが、その抜歯の前に、患者さんから“私の心境を詩にしたためました”といって、詩の書かれた色紙をいただきました。そこには、

 

「凍てつきし、馬糞を食べしこの歯ども、遠き日の夢か、今抜かれてゆく」

 

と書かれてありました。後日、この詩が朝日新聞の歌壇に紹介されたのですが、この詩の意味を問うたところ、「戦後シベリアの捕虜収容所で、食べるものも満足に得られず、馬糞を食べたような歯ではあるが、自身にとっては極めて郷愁を覚える歯である。その苦しくて、悲しい日々を共に過ごした思いで深い歯が今抜かれていく、非常に寂しいことである」との心境を聞かせていただきました。

 

 そこで、私なりに考え四字熟語として「一歯一歩(いっしいちふ)」を創りました。我々は簡単に予後不良歯として、歯を抜こうとしますが、この患者さんにとっては、一本の歯が将棋の駒で言う単なる「歩」ではなく、敵の陣に入った「成り金」のような「金」の役割を演じている価値ある歯であり、思いで深い歯であることが理解でき、以後私は、一本の歯といえども、その患者さんの心境を常に考え、抜歯を行うようにしてきた。今でもこの患者さんには、教科書では学び得なかったことを教わったと感謝しております。

 





admin 医療従事者の部屋, 雑感

「古(いにしえ)にならえば今に通ぜず、雅を選べば俗にかなわず」

5 月 21st, 2009
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日本歯周病学会での講演に関する情報を坪井先生よりいただきました。

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詳細は司馬遼太郎の「世に棲む日々(一)」文集文庫P73,P87を参照とのことです。

吉田松陰が平戸に留学中に読んだ清の魏源の著作「聖部記附録」:

「古(いにしえ)にならえば今に通ぜず、雅を選べば俗にかなわず」

その意味は


「古学ばかりの世界に密着しすぎると、現今ただいまの課題がわからなくなる。また、格調の高い正しい学問ばかりやっていると、実際の世界の動きにうとくなる」


司馬遼太郎 世に棲む日々より


この言葉は、私たちの世界を正確に反映しています。


基礎医学ばかりの世界に密着しすぎると、現今ただいまの臨床がわからなくなる。また、エビデンスの追求ばかりやっていると、実際の患者の立場にうとくなる」

となりましょう。恐ろしいほど、マッチしませんか?

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吉田松陰.com http://www.yoshida-shoin.com/より引用

松陰が松下村塾で塾生たちの指導に当たった期間は、安政3年(1856年)8月から安政5年(1858年)12月までのわずか2年余りに過ぎません。しかし、その短い期間に、松陰は自分の信念を塾生たちにぶつけ、しかし一方的に教えるのではなく、塾生たちと一緒になって問題を考えていった。講義は室内だけでなく、農作業を共にしながら行なわれるなど、心身両面の鍛錬に重点が置かれたという。


わずか2年余りの活動だったのですが、松陰の教育を受けた門下生達は、後に京都で志士として活動した者や、明治維新で新政府に関わる者など幕末・明治において大きな活躍を果たすことになります。

久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山形有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖など枚挙に暇がありません。


松蔭の松下村塾と比較するとあまりにも稚拙ですが、私が主宰していたAPI-Japanというスタディグループは実質6(2003年〜2008)間活動しました。その間には、日本歯周病学会、日本臨床歯周病学会、OJ3i JapanBIOMET 3i Symposium(Chicago)、近畿北陸地区歯科医学大会、SJCD(東京、大阪)、KIDS、歯水会、大阪大学などでの講演や発表、ザ・クインテッセンス誌の年間連載に代表される執筆活動、歯周病・インプラントに関する講習会主催など、さまざまな活動を行ってきました。


現在は、メンバー全員の意思として、全体の活動は行っておりませんが、個々にグループを作り活動されているようです。私が提唱した「Back to the real basics and go to the future」、「科学的根拠に下支えされた患者本位の医療」という概念が、たとえ風雨にさらされ、厳しい環境に置かれても、どこかで生きながらえ、どこからか新しい芽が出ることを願っています。


樋口一葉やゴッホなど、後の世に傑出した作品を残した人の活動は長いものではないと聞いています。人生の中で、わずか数年で全ての作品を作ったとのこと、私はその意味がとても良く理解できます。
大切な事は「長さ」ではなく、「密度」なのです。

吉田松陰は18591027日、わすか30才で死刑になったのです。
辞世の句は、「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」。と言われていますが、


吾れ今 国の為に死す

死して君臣に背かず

悠々たり天地の事、

鑑照 明神に在り


という言葉を残したと言われています。その意味は、


私は今、国の為に死ぬ。死すとも、藩主への忠義、父母への孝行を尽くして、道に反することはない。天地は永遠で果てしなく広い。神様よ、私の行いの正しいことをご覧下さい。」


実行の中にのみ学問がある。行動しなければ学問ではない。

松陰は学問を「人間とは何かを学ぶことである」と言った。また「学者になってはいけない。 実行しなければならない」とも言い、学んだことを活かし実行に移す大切さを強く説いた。脱藩や密航を試みるなど、実行に実行を重ねる松陰であったからこそ、若者達の心は強く揺さぶられ、惹き付けられていったのでしょう。


人の身体は滅びますが、学問は、永遠に不滅なのです。

admin 雑感

私が共同執筆した新刊書が発売されました。

5 月 19th, 2009
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私が共同執筆した新刊書が発売されました。

 

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日常臨床における 再生療法のテクニックと長期経過 

  発行:株式会社 ヒョーロンパブリッシャーズ

  編者:伊藤公一、内田剛也

 

執筆項目 症例編:長期経過からみた歯周組織再生法 GTR法を用いた症例  牧草 一人

 

CT画像解析をもとに、根分岐部病変および垂直性骨欠損部へのGTRの長期経過を詳細に報告するとともに、GTRを成功に導くためのキーポイントについて解説しています。

 

admin 講演・執筆

日本歯周病学会 春期学術大会<2009年5月15日(金)-16日(土)>の専門医教育講演に参加して思うこと

5 月 18th, 2009

認定医教育講演 5月16日(土)

 

学会では、専門医制度を設けており、専門医資格を取得したり更新したりする場合には、この教育講演に出席し、参加証明のスタンプをネームカードに押してもらうのです。それがポイントとなり、資格取得や更新には必要になります。したがって、毎回、会場に入れないほどの参加者が集まるのですが、私はすでに専門医であり、さまざまな公用からここ2年ほど参加していませんでした。今年もこれまで通り盛況だったのですが、問題は講演の最後のところです。

 

 演者の先生が最後に謝辞を述べられ、感謝状を贈呈されている時に、多くの若い先生がぞろぞろと席を立ち、出口に向かって長い列を作っているのです(写真)。このような行為は失礼極まらない話で、彼らの関心ごとは、「ただ参加証明のスタンプさえもらえばいい」としか見えません。では、そのような考えの人が専門医になる資格があるのでしょうか?

 演者の先生が、お世話になりご指導いただいた先生への謝辞を述べられたり、学会からの感謝状を受け取られるセレモニーに共感し、拍手をすることは、専門医以前、歯科医師以前に人として当然のことであると私は考えます。もしも私の考えが「古い」のであれば、それはとても残念なことです。

 私は、質問があったのですが、このような状態で質疑応答の時間も割愛され閉会したため、とても残念でした。

 

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この時点で、演者はまだ壇上にいるのです。

最後のスライドが終わる前からこのような状態でした。

 

 

日本歯周病学会 春期学術大会
岡山コンベンションセンター 5月16日(土)

 

土曜日は日本歯周病学会に出席してきました。この日の午後は、私の口腔外科の師である坪井陽一先生(元京都大学歯科口腔外科講師)が講演をされました。

 

患者さんに優しいインプラント治療とはなにか?

   ─即時負荷インプラントと低侵襲組織再生治療のコンビネーション

 

 

 

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 先生はこれまでのご自身の足跡を紹介しながら、口腔外科専門医として組織再建に取り組んできた時代から組織再生へと変化してきた背景を実際の臨床症例を提示しながら解説されました。特に、患者さんベースの治療計画の立案が重要であり、低侵襲による組織再生治療や即時負荷インプラント治療についてのお考えをお話されました。坪井先生は、講演で「私にGBR

(骨再生誘導法)を教えてくれたのは牧草先生です」と言っていただき、私はとてもうれしく思いました。

 

最後には、司馬遼太郎の文章をご紹介され講演を締めくくられました。

 時として、「あまり高尚な学問だけに身をおいていると、実際の人の社会とはかけ離れたところに行ってしまい、現実を見失ってしまうことになる」といった内容のものでした。私の考えも全く同じで、科学という言葉を自然科学だけと捉えて、患者さんの背景に眼をそむけるのは医療の本質からはずれてくると考えます。

 

 

 

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座長の鴨井久一先生(日本歯科大学名誉教授)、坪井先生と私

 

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大阪歯科大学歯周病学講座所属で当院勤務の奥野先生、阿部先生と坪井先生

 

 

admin 医療従事者の部屋, 国内出張