アメリカ出張から帰りました!

6 月 18th, 2009
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お知らせのとおり、インフルエンザ騒動にもめげずに6月1日からアメリカ出張に行ってきました。11日に帰国後、14日まで東京で雑誌社などの仕事をこなし、今日は18日、一応インフルエンザの潜伏期間も過ぎたので、レポートを書き出しました。

 

 前回のサンディエゴでは、現地でダグラス(サンディエゴ紀行参照)と2人でしたが、今回は全くの一人旅です。何が起こることやら、、、

 

 今回の目的地は、ボストンとニューヨークでした。今週末以降、順次レポートしていきます。

 内容は、

 

 1、ボストン、ニューヨーク紀行(一般向け)

 2、ボストン、ニューヨーク出張レポート(医療従事者向け)

  の2本立てです。

 

 

 

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ウエスティンホテル・コプレィプレィスの部屋からチャールズ川を望む

 

 

 

 

 

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マンハッタンの5番街(5th Avenue)を走るニューヨーク名物の黄色いタクシー

 





admin 海外出張

ボストン出張速報 ハーバード大学にて講義しました!

6 月 4th, 2009
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ボストン初日、朝からマーク・ネビンス(Marc Nevins)の医院を訪問してきましたが、彼は、夕方からハーバード大学で講義があるとのこと、ぜひとも同行しろ!とのことで彼の車で移動しました。対象は、歯科医のライセンスはあるのですが、歯周病専門医になるために大学で学んでいる先生たちです。20人くらいの少人数のグループで臨床と研究を共同で行うシステムです。

 

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教室では、白人系、黒人系、アジア系などさまざまな人が共に学んでいます。

 

 

教室に到着すると、マークは私に、「この時間は君にあげるから、私に代わって講義せよ!」といきなり言い出しました。

 

なんたる暴挙! 

 

私は何の準備もしていなかったのですが、彼は、「天然歯とインプラント周囲における生物学的幅径 Biological witdth around natural teeth and implants」というテーマまで決めてしまったのです。

マークは私の専門分野を記憶していてくれたのでした。

 

しかたなしに、プレゼンをすることになったのですが、私のコンピュータ(マックブック)の接続ケーブルがなく、急きょマークのコンピュータを借りたので、当然カンニングペーパーなどもありません! 

 

最初、マークは「20分ぐらいだね!」と言っていたのでなんとかなるか!と腹をくくって英語でプレゼンを始めたのですが、途中からマークは、もっとやれ、もっとやれ!と言い出し、結局、途中で質疑応答も入れて、なんと「1時間半!!!」ぶっつけ本番で英語での講義するはめになりました。

 

 もちろん日本語をわかる人は皆無です。

途中から副学部長(Nadeem Karimbux先生)も講義に参加し、終了後には「エクセレント」を連呼してくれました。これからも定期的に来なさい!とのこと。

 

 翌日に再度、大学を訪問した時には、感謝状(Certificate of Appreciation)まで用意してくれていて、感動しました。

とてもいいお土産になりました。このような機会を与えてくれたマーク・ネビンスに感謝!!!

 

このことの詳細は、後日に報告します。

 

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講義終了後、副学部長、マークとともに(私は疲れきっています!)

 

 

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Certificate of Appreciation(感謝状)には、私の名前「Kazuto Makigusa」と講義内容「Biological Width Around Natural Teeth and Around Implants」がしっかりと書かれています。

 





 

 

admin 海外出張, 講演・執筆

本年2回目の海外出張(6月1日〜11日)

5 月 26th, 2009
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 今回の主な渡米目的は、BIOMET 3i主催のニューヨーク大学(NYU)インプラント研修に参加することです。ニューヨーク大学の歯学部のインプラント治療は、世界的にも最先端であることは有名で、歯周病・インプラントセクション主任教授のDennis Tarnow先生は世界のインプラント界をリードする素晴らしい先生です。

 

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ターナー先生と(
2008年シアトルにて撮影)

 

 

 

 私個人の目的は、何か新しいことを学びに行くというのではなく、「現在、アメリカの大学では、どのようにインプラントを教育しているのか」をリサーチすることです。

 

 それだけではもったいないので、今回は先にボストンに行き、マーク・ネビンス(Marc Nevins)先生の医院訪問、ハーバード大学歯学部訪問を予定しています。

 マークは、アメリカの新進気鋭の歯周病・インプラント専門医ですが、彼のお父さんは、かの有名なマイロン・ネビンス(Myron Nevins)先生で、彼はアメリカ歯周病学会会長など要職を歴任され、現代の歯周病学をリードしてきた世界的なリーダーです。マークとは、2006年に日本のインプラント学会(OJ)でのシンポジュウムで共演したことから知り合いになり、今回の医院訪問が実現しました。

 ハーバード大学は、その存在を知らない人はいないでしょう。1636年創立のアメリカ最古の大学で、オバマ大統領を含む7人のアメリカ大統領、19人のノーベル賞受賞者を輩出し、2007年には世界大学ランキング単独1位になっています。マークもハーバード大学の臨床教授です。

 

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マーク・ネビンスと(2006年大阪にて撮影) 

 

 

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 ハーバード大学歯学部(2005年撮影

 

 

 その後、ニューヨークに移動し、ニューヨーク大学(NYU)の歯学部を訪問する予定です。私がニューヨークに到着した2日後に日本から20人程の先生が来られ、研修に参加されることになっているようです。私も研修に参加し、11日に帰国する予定です。

 

 今回は、インフルエンザの問題があり、最後まで渡米をするかどうかを悩んでいましたが、現在、日本国内でも蔓延期(特に関西は)に移行し、空港での検疫の撤廃もされたとのことで、現地の人の情報を基に、医院、大学病院以外は出歩かないようにすることで対応することが可能と考えました。タミフルの予防投与は現在検討中です。健康にくれぐれも注意し、患者さんの幸せのため、後進の先生の教育のためにしっかりと学習してまいります。

 

 帰国後は、前回のように出張レポートを作成したいと考えています。

 





 

 

admin 海外出張

恩師、故今井久夫先生をしのんで

5 月 25th, 2009
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2004年撮影(今井先生66歳、私は44歳の年でした)

 

 先日、自室の掃除をしていたら、私が歯科医師になってすぐの頃からお世話になった今井久夫先生の文章が出てきました。先生は、大阪歯科大学歯周病学講座教授、大阪歯科大学付属病院長、大阪歯科大学学長、大阪歯科大学理事長を歴任され、私にとっては仲人、歯周病専門医試験の指導医、学位(博士号)審査教授など、人生の節目節目で大変お世話になった素晴らしい先生です。

 

 先生の人柄は温厚で、配慮に富んだ言動は多くの後輩達から支持されていました。平成19年8月16日、盛夏のさなか、享年69歳という若さで永眠されました。私にとっては歯周病学だけでなく、心の師であり、本当に残念でした。私が22年前、大阪歯科大学の歯周病学講座に入局した時、今井先生は49歳、まさに今の私の年令です。当時の今井先生と今の私を比べてみると、あまりの私の幼稚さに驚愕をおぼえたとともに、「頑張らねば!」という決意を新たにしました。これからも、「一歯一歩」を肝に銘じて歯周病治療に邁進してまいります。今井先生、本当にありがとうございました。

 

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 約10年前に高度な歯周疾患のため、70歳近い高齢患者さんの歯を抜かなくてはならないことになり、抜歯理由について種々説明したところ、1週間程度考えさせてほしいとの要望があり、次回来院時に抜歯を行うことにした。約10日後に再来院され、抜歯を行うことにしましたが、その抜歯の前に、患者さんから“私の心境を詩にしたためました”といって、詩の書かれた色紙をいただきました。そこには、

 

「凍てつきし、馬糞を食べしこの歯ども、遠き日の夢か、今抜かれてゆく」

 

と書かれてありました。後日、この詩が朝日新聞の歌壇に紹介されたのですが、この詩の意味を問うたところ、「戦後シベリアの捕虜収容所で、食べるものも満足に得られず、馬糞を食べたような歯ではあるが、自身にとっては極めて郷愁を覚える歯である。その苦しくて、悲しい日々を共に過ごした思いで深い歯が今抜かれていく、非常に寂しいことである」との心境を聞かせていただきました。

 

 そこで、私なりに考え四字熟語として「一歯一歩(いっしいちふ)」を創りました。我々は簡単に予後不良歯として、歯を抜こうとしますが、この患者さんにとっては、一本の歯が将棋の駒で言う単なる「歩」ではなく、敵の陣に入った「成り金」のような「金」の役割を演じている価値ある歯であり、思いで深い歯であることが理解でき、以後私は、一本の歯といえども、その患者さんの心境を常に考え、抜歯を行うようにしてきた。今でもこの患者さんには、教科書では学び得なかったことを教わったと感謝しております。

 





admin 医療従事者の部屋, 雑感

「古(いにしえ)にならえば今に通ぜず、雅を選べば俗にかなわず」

5 月 21st, 2009
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日本歯周病学会での講演に関する情報を坪井先生よりいただきました。

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詳細は司馬遼太郎の「世に棲む日々(一)」文集文庫P73,P87を参照とのことです。

吉田松陰が平戸に留学中に読んだ清の魏源の著作「聖部記附録」:

「古(いにしえ)にならえば今に通ぜず、雅を選べば俗にかなわず」

その意味は


「古学ばかりの世界に密着しすぎると、現今ただいまの課題がわからなくなる。また、格調の高い正しい学問ばかりやっていると、実際の世界の動きにうとくなる」


司馬遼太郎 世に棲む日々より


この言葉は、私たちの世界を正確に反映しています。


基礎医学ばかりの世界に密着しすぎると、現今ただいまの臨床がわからなくなる。また、エビデンスの追求ばかりやっていると、実際の患者の立場にうとくなる」

となりましょう。恐ろしいほど、マッチしませんか?

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吉田松陰.com http://www.yoshida-shoin.com/より引用

松陰が松下村塾で塾生たちの指導に当たった期間は、安政3年(1856年)8月から安政5年(1858年)12月までのわずか2年余りに過ぎません。しかし、その短い期間に、松陰は自分の信念を塾生たちにぶつけ、しかし一方的に教えるのではなく、塾生たちと一緒になって問題を考えていった。講義は室内だけでなく、農作業を共にしながら行なわれるなど、心身両面の鍛錬に重点が置かれたという。


わずか2年余りの活動だったのですが、松陰の教育を受けた門下生達は、後に京都で志士として活動した者や、明治維新で新政府に関わる者など幕末・明治において大きな活躍を果たすことになります。

久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山形有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖など枚挙に暇がありません。


松蔭の松下村塾と比較するとあまりにも稚拙ですが、私が主宰していたAPI-Japanというスタディグループは実質6(2003年〜2008)間活動しました。その間には、日本歯周病学会、日本臨床歯周病学会、OJ3i JapanBIOMET 3i Symposium(Chicago)、近畿北陸地区歯科医学大会、SJCD(東京、大阪)、KIDS、歯水会、大阪大学などでの講演や発表、ザ・クインテッセンス誌の年間連載に代表される執筆活動、歯周病・インプラントに関する講習会主催など、さまざまな活動を行ってきました。


現在は、メンバー全員の意思として、全体の活動は行っておりませんが、個々にグループを作り活動されているようです。私が提唱した「Back to the real basics and go to the future」、「科学的根拠に下支えされた患者本位の医療」という概念が、たとえ風雨にさらされ、厳しい環境に置かれても、どこかで生きながらえ、どこからか新しい芽が出ることを願っています。


樋口一葉やゴッホなど、後の世に傑出した作品を残した人の活動は長いものではないと聞いています。人生の中で、わずか数年で全ての作品を作ったとのこと、私はその意味がとても良く理解できます。
大切な事は「長さ」ではなく、「密度」なのです。

吉田松陰は18591027日、わすか30才で死刑になったのです。
辞世の句は、「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」。と言われていますが、


吾れ今 国の為に死す

死して君臣に背かず

悠々たり天地の事、

鑑照 明神に在り


という言葉を残したと言われています。その意味は、


私は今、国の為に死ぬ。死すとも、藩主への忠義、父母への孝行を尽くして、道に反することはない。天地は永遠で果てしなく広い。神様よ、私の行いの正しいことをご覧下さい。」


実行の中にのみ学問がある。行動しなければ学問ではない。

松陰は学問を「人間とは何かを学ぶことである」と言った。また「学者になってはいけない。 実行しなければならない」とも言い、学んだことを活かし実行に移す大切さを強く説いた。脱藩や密航を試みるなど、実行に実行を重ねる松陰であったからこそ、若者達の心は強く揺さぶられ、惹き付けられていったのでしょう。


人の身体は滅びますが、学問は、永遠に不滅なのです。

admin 雑感